M君の話をしましょう。M君は三十余年前、結団のとき中学三年で入隊し、上級班長をつとめ、副長となり私を援けてくれましたが勤務と家業とで夜昼ない忙しい生活となり、責任が持てないからと、スカウト活動からはなれました。残念だったと思っています。
M君はまじめな人で、私なども「それがスカウトのすることですか。」と時々注意をうけていました。蔵王の野営大会に参加した人で、帰り二里近い道をリュックとテントを背負って歩いたものです。国体の奉仕に出た時は、交通整理を担当し、謹教小学校の前で自動車を上手にさばいてくれました。私はホイッスルを吹きながら、なりふりかまわず、手を振っているのを感心して眺めたものでした。唯一人ポケットブックを見ながら結索にとりくんでいたり、手旗を練習したりしていたこともありました。いつでも本気でやっていたと思います。「学校ではこうはいかないんですよねー。」と言っていました。言われたことはキチンとやり、仕事は見つけてゆく方でたのもしいかぎりでした。私はそこから真剣に取りくんで行くことのすばらしさを学んだものでした。どんな苦しい時でも笑って事にあたることがスカウトだということを教えられたのです。
M君はまた大きな声でソングを歌う人でした。屈託のないのびのびした声で、皆をリードするように歌うのでした。あまり上手とは言えなかったですけれども――。今のスカウト諸君が小さな声で、口もあまり開かずに歌うのを聞くと、これがスカウトソングかと言いたくなってしまうのです。誰だかが言っていました。大きな声の人には悪人はいないと。
私もそう思います。正しい事なら誰に聞かれても恥ずかしくないはずだし、第一コセコセしていなくて気分がいいでしょう。みんなもM君のようになってほしいものだと思っています。
M君はまた仕事を最後までやる人でした。仏教に精進という言葉があります。仏になるために正しい努力をすることを言います。彼は、目標を立てたらそれをやり通そうと努力しました。こうやると決めたら、最後まで努力するのがスカウトだと私は思っています。途中でやめてしまうのでは塵もつもりませんし、何にもなりません。コツコツと誰に知られなくてもいい。努力を続けることです。仏さまが見ていてくださるのです。知っていてくださるのです。明日にむかってがんばりましょう。
おきての一番に「スカウトは誠実である」とあります。そえ書きには真心をこめて、自分のつとめを果たしとあります。こんな人が信頼される人なのでしょう。仕事をチャランポランにしたりする人を誰も信頼はしないでしょう。五十しか出来なくても百を目指してがんばるようにしましょう。その努力を仏さまはほほえんで見てくださるでしょう。
スカウトは誠実である
沖井 道雄